チッタゴン丘陵ニュースクリップ

焦土と化したサジェクの村々:市民チームが調査と緊急救援を呼びかける
プレス・リリース

ランガマティ県サジェク・ユニオンの7つの村で約150戸の住居が全焼したとのマスコミ報道を受けて、市民グループが2008年4月28日〜29日にかけて現場に入って調査を行いました。到着後、サジェク・ユニオンの保存林区域内の8つの村、ナーサリー・パラ(村)、ダネ・バイボチョラ村、バメ・バイボチョラ村、プールボ・パラ(村)、バルガット・パラ(村)、レトカバ村、MSFパラ(村)およびゴンガラム・ムク村で、全焼した家々(ほとんどは丘陵民(丘陵に住む先住民族)のもの)の焼け跡を目撃しました。4キロにわたって家々の黒焦げの焼け跡が見られました。住民の多くは依然として身を潜めている様子でした。他の人からは、事件で数名が負傷したと聞かされました。住民は適切な住処が無く、屋根もない空の下で日々を送っている人たちもいました。

現地調査で私たちは何が起こったかを明らかにするために丘陵民とベンガル人の被害者や目撃者、他の地元住民、軍関係者などから聞き取りを行いました。私たちが目の当たりにした状況、事件の背景にある主な要因、現時点で必要と思われる行動について説明を試みます。我々の中には自費で現地を訪問した者もいますが、そうしたのは、バガイチョリという山間部の僻地で起こった事件の全容を国内マスコミが十分に報道しなかったのではないかと感じたからです。


今日まで、何戸の住居が焼失し、何人が被災したかに関して詳しい公式な記録は作成されていないようです。新聞は150〜200世帯ほど影響を受け、そのほとんどがチャクマ民族であると報じています。事件の被害者、目撃者と直接話し、4月20日の午後9時ごろから翌日早朝にかけて付近の多くの住居が全焼したことを知りました。そのほとんどは丘陵民の家でしたが、一部はベンガル人のものでした。調理器具、書籍、衣服など家財道具もほとんど焼けてしまったとのことでした。
同地域のチャクマ住民が恐怖に震えながら自分たちの家が焼かれるのを眺めた経験について語ってくださいました。

バルルガート・パラ(村)に住む45歳のチャクマ民族は「お米も衣服も、鍋釜食器も、全部焼かれました。学校の教科書も、出生証明書も、SSC卒業証書も全て焼かれてしまいました」と語っていました。

何人かの目撃者や被害者は、家に放火した人たちが貴重品を略奪したことについても語りました。ダネ・バイバチョラ村の35〜40歳ぐらいのチャクマ住民は4月20日夜9時45分ごろ、叫び声を聞いて家から飛び出したところ、隣の家が燃えているのが見え、炎の中から助けを求めて叫ぶ声を聞いたと語りました。彼の家も全焼しました。そこには黒焦げの柱の跡だけが見えました。彼はこう語りました:「火をつけた人たちは、最初に私たちの家からテレビやベッド、洋服ダンスなど見つけたものは何でも略奪していき、最後は家に火をつけました。火をつけた人たちは全てを持ち去りました。」 別のチャクマ女性が語りました:「ベンガル人の村でTVが見つかったと聞きました。軍はテレビを返すと言っています。」

80歳ほどのチャクマの老人は、「こんな惨めな目に遭ったのははじめてです」と話しました。その家族には学校に通う子供が二人おり、一人はSSC試験の勉強をしており、もう一人は7年生ですが、教科書が全て焼けてしまって学校にも行けないとのことでした。

ゴンガラム・ムク村では、ベンガル人が礼拝所を破壊して小屋を建てたという訴えもありました。地元の陸軍駐屯地に窮状を訴えても何もしてもらえなかったと住民は語りました。火災の後、30〜35家族がバガイハットのモイトリープール・ジョギ・ボノ・ビハール仏教寺院に避難しました。

寺院の住職は「宗教指導者として、私たちの地域でこのような事件が起こったことを恥ずかしく思います」と語りました。

影響を受けたベンガル人も何人か4月20日の出来事について説明してくださいました。地元丘陵民の間では、このベンガル人たちは「入植者」として知られています。

モハマド・ロフィクル・イスラムは10〜11年前にバガイチョリに来ました。彼はムスルマン・パラ(村)に住んでいます。二ヶ月ほど前、彼はゴンガラム・ムク村の丘陵民の住居の近くに小屋を建てました。事件の夜、「ウジャオ、ウジャオ」と叫ぶ声が聞こえたので、恐怖のあまり家から逃げ出したとのことです。「「ウジャオ、ウジャオ」という叫び声が近づくのが聞こえたので、逃げ出して陸軍駐屯地に避難しました。」と彼は話しました。また、事件を目撃したバガイチョリ・バザール管理委員会の書記長は「事件の夜、9時45分ごろ、私はハフィズ少佐の車に乗っていました。[駐屯地では2B連隊の創設記念日の行事が行われていましたが、外で騒いでいるのが聞こえたので外に出たのでした。]「ウジャオ、ウジャオ」という叫び声が聞こえ、黒い服を着てマスクを被った100〜150人ほどの人々が家に火をつけているのを見ました。地元の丘陵民ではなく、よそ者でした。」

放火事件の背景に関する被害者の説明

広い面積を持つサジェク・ユニオンはランガマティ県の一端に位置し、主に保存林からなっています。この地域でのいかなる居住も違法とされています。しかし、多くの丘陵民が慣習的な規範に則り、正式な土地権証書を持たないまま、何世代にもわたってここで暮らし続けてきました。

丘陵民もベンガル人も、この2ヶ月ほど同地域で緊張が高まっていたことが事件の一因だったと説明しました。緊張が高まった主な理由は、ベンガル人が丘陵民の家の近くで家を建設していたことです。バガイハットからゴンガラムに至る幹線道路沿いの4キロの区間で同じような光景が見られました。丘陵民の家の隣か真向かいにベンガル人入植者の小屋が点在していました。そこには、夜は誰もおらず、泊まっていないようでした。入植者に聞いたところ、これらの小屋は、この2ヶ月ほどの間に建てられたことを知りました。当初から丘陵民たちは、ベンガル人たちが自分たちの伝統的な土地に入植地を作ることを承服していませんでした。この問題ですでに対立や衝突が起こっていました。最初から丘陵民はベンガル人が建物を建設することに反対していました。抗議にもかかわらず小屋の建設が続いたので緊張がさらに高まりました。

現場訪問で、火事が家から家へ燃え移ったのではないことが明らかとなりました。家は散在しており、それぞれの家に別々に火がつけられたことが間違いありませんでした。たとえば、バイバチョラ村では全焼した丘陵民の二つの家の間にベンガル人入植者アブル・マレクが姑のアヌワラ・ベゴムと一緒に暮らしているのを見つけました。チャクマの住居2戸は4月20日に焼けましたが、その間にある小屋や焼けていませんでした。

ゴンガラム・ムク村を除き、丘陵民の家が全焼しているすぐ隣や近所でベンガル人の住居もしくは小屋が焼けずに残っているのを目の当たりにしました。このパターンは、放火犯が実行を計画し、丘陵民とベンガル人の家を区別した上で放火したことを示しています。ほとんどの人は、丘陵民を脅迫して追い出そうとしている首謀者としてアリとバブルという二人の名前を挙げました。ゴンガラム・ムク村のあるチャクマ住民によれば、アリたちが4月19日に自分の経営する店にやってきて、日暮れ前に出て行かなければ彼も店も焼き討ちして家族全員を殺すと脅したとのことでした。恐れのあまり、彼はその夜に妻と子供たちを別の家に送ったそうです。翌20日に彼の家は放火されました。この男性は自分の破れた半袖シャツとルンギ(腰巻)を指差し、「放火から今日まで、ずっとこの同じ服を着ています」と涙ながらに訴えていました。

ある村のカルバリ(長)は、「我々が2〜3人で話しているのを見るだけで彼らは軍の駐屯地に通報するのです」と話しました。匿名を希望するゴンガラム・ムク村の別の丘陵民はこう語りました:「入植者の家を道路沿いに建設するので、家を道路から2〜3キロ離れたところに移すように言われました。文句を言えば生贄の牛のように屠ってやるとアリやその仲間たちに言われました。」

確かに丘陵民とベンガル人の間の緊張関係が火災の発端となりましたが、その理由はもっと根深く、この地域でのベンガル人の入植地建設が丘陵民をさらに弱い立場、不安定な生活に追いやっていたことにあると私たちは考えます。他方で確かに、この地域に住むベンガル人のほとんどは大変貧しく、政府からの食糧配給に頼っていることも事実です。国内各地から来たこれらの弱い立場の人々は政府の支援に頼りながらぎりぎりの生活を強いられています。

救援・生活再建:同地では今まで3回、救援物資が配られました。最近では陸軍の最高司令官が4月29日に同地を訪問した際に、被害を受けた住民にそれぞれ現金500タカと食糧(米5キロ、ダール豆1キロ、ジャガイモ2キロ)を配りました。その前は、陸軍および行政から1人500タカずつ配られました。陸軍最高司令官の訪問時には住居再建のために各世帯に1万タカずつ提供すると発表されました。私たちがインタビューした何人かは、それでは不十分だと語っていました。ベンガル人入植者のほうが多くの支援を受けたと主張する丘陵民もいました。救援物資配布の際に何人かのチャクマ人が何ももらえずに帰って行くのを私たちも見ました。

誰の責任か? カグラチョリ町からランガマティ県の北端にあるバガイチョリ郡のバガイハットまで移動し、そこからゴンガラム・ムク村まで行けば、誰しも「ここは本当にわが国だろうか」と首をかしげるでしょう。軍による検問があまりにも厳しいからです。全てが厳しく監視されています。出入りする全ての人の名前が書き留められます。一人ひとり、身元を明かさなければなりません。車の番号も記録されます。この地域から出るときには番号が再度チェックされます。これほど厳しい監視の下でこのような放火攻撃がどうして起こり得たのかを問うことは重要だと私たちは考えます。

何人かの丘陵民の被害者に「事件の責任は誰にあると思うか」と尋ねました。彼/女たちは、躊躇いも無く、ベンガル人が家に放火し、陸軍兵士もいっしょにいるのを目撃したと話しました。一方、ベンガル人の被害者たちは、地元の丘陵民ではなく部外者が事件に関与していたと答えました。

陸軍の主張:バガイハット陸軍駐屯地の関係者にも話を聞きました。陸軍駐屯地が事件に何らかのかかわりを持ったかと司令官イムティアズ中佐に聞いたところ、彼はこう答えました:「関係があるなどとは問題外です。「ウジャオ、ウジャオ」と叫ぶ声が聞こえたのですぐに駆けつけました。兵士を送りました。私自らも行きました。丘陵民とベンガル人が平和に融和して暮らすのを見たくないと考える、外からやってきた丘陵民がテロを実行したと断言できます。」一見したところ、恐らく事件はJSSかUPDFのせいだろうと彼は付け加えました。アリとバブルの活動に関して何か対策は講じたのですかと質問したところ、イムティアズ中佐は「ゴンガラム・ムク村の長、ビラーシュ・チャクマから(アリ)がモンゴル・クマール・チャクマを脅迫しているとの通報を受けたので、アリを4日間拘束しましたが、そのあと開放しました。他に誰からも苦情を聞いていません」と答えました。アリが司令官の名前を使って住民を脅迫し搾取しているという私たちの主張が正しいと分かれば対策を取るとも彼は言いました。

私たちの提案:私たちは現場調査、関係者とのインタビュー、状況分析に基づき、下記の通り、いくつかのことを提案いたします:

1. 独立的で中立的な司法調査委員会を結成し、一定期間内にその報告書を公表することを義務付けること;攻撃の責任者を訴追し、懲戒処罰すること。
2. サジェク・ユニオンでの放火攻撃で被害に遭った人々に適切な補償金を提供し、住居の再建も含め速やかに生活再建を図ること。
3. バガイチョリ陸軍駐屯地に拘束されている3人を解放すること。
4. サジェク・ユニオンをはじめ、丘陵3県へのベンガル人の入植を止めさせること。
5. 1997年CHT和平協定に従い
a) 全ての土地紛争の調査と裁定のために土地委員会を活性化させること。
b) CHTから陸軍駐屯地を引き上げること。
c) CHT地域評議会が有効に働けるようにすることを含め、文民行政が本来の業務を遂行できるようにすること。

ランガマティ県バガイチョリ郡サジェク・ユニオンで現場調査を行った市民グループは下記の通りであった:

1. Syed Abul Maqsud(作家、ジャーナリスト)
2. Ziauddin Tareque Ali (連帯社会運動(Shonmilito Shamajik Andolon)、委員)
3. Pankaj Bhattacharya(連帯社会運動、委員)
4. Shameema Binte Rahman(ジャーナリスト)
5. Supriyo Chakma(プロトム・アロ紙ランガマティ特派員)
6. Jewel Dewan(弁護士、バングラデシュ法的支援サービス信託(BLAST))
7. Robayet Ferdaus(ダッカ大学助教授)
8. Sara Hossain, (弁護士、バングラデシュ最高裁)
9. Abu Ahmed Faizul Kabir(法律・慣習法センター(Ain o Salish Kendra、ASK)調査担当)
10. KCing Marma(チッタゴン大学学生)
11. Rajiv Mir(チッタゴン大学助教授)
12. Anirban Saha(ASK調査担当)







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サジェクでの入植者による襲撃事件:被害者がダッカで記者会見
http://bangladesh-web.com/view.php?hidRecord=197462

チッタゴン丘陵地帯(CHT)ニュース

2008年4月29日

ミトゥン・チャクマ(バングラデシュ)送付

サジェクでの入植者による襲撃事件の犠牲者たちは、バガイハット管区のショジッド・モハマド・イムティアズ中佐と商人ゴラム・モウラが事件の責任を負うと主張した。

本日(日曜日)、記者会見のためにダッカ市にやってきた5人の被害者は、シェグン・バギチャ地区のReporters Unity記者クラブに集まった報道関係者にこのように話した。

ビノイ・チャクマは声明文を読み上げ、4月20日の事件は予め計画されたものだったと主張した。事件の前にディギナラのメルンとコバカリ、そしてバガイチョリのマリッショとロンゴドゥーから入植者たちが集まってきており、4月19日には違法な入植者の政治組織、いわゆる平等権運動(Samo Odhikar Andolon)のリーダーであるシェリム・ウッディン・バハリがイムティアズ中佐と相談するためにバガイハットに来ていたと彼は語った。

「夜9時45分ごろ、約200人の入植者が先ずはダネ・バイバチョラ村に近づきました。ジュマの村人が結集しているのを見ると彼らは一旦、帰って行きました。その後、彼らは兵士を連れて再び現れ、我々の家に火をつけました。先ずはNirmol Kanti Chakmaの家を放火して攻撃を始めました。その直後、プルボパラ村、レトカバ村、ゴンガラム村の住居が次々に放火されました。彼らはキリスト教会とユニセフが運営する2つの村の学校(農村センター)さえ全焼させました。レトカバ村で入植者たちは国連開発計画(UNDP)の財政支援で作られた果樹園を破壊し、「バガイハット・ジープ運転手協会」と書かれた看板を設置しました。」と彼は語った。

攻撃者たちは家具や家財道具を含め、持ち運び可能なものも、ほとんど全て略奪したとビノイ・チャクマは語った。「UNDPの財政支援で購入された牛さえも持っていかれました」と彼は訴えた。

「攻撃者に対して抵抗しようとしました。しかし、軍の姿を見たので、逃げるしか選択肢はありませんでした。」と彼は語った。

背景

被害者たちは、以前にもさまざまな事件が起こっており、4月20日の襲撃で頂点に達したと語った。影響地域に住むジュマ民族の9割は、以前にも軍や入植者による攻撃で移住を強いられたと彼らは語った。軍による抑圧が続く中でも、ビジネスのためにサジェクにやってきていた小さなベンガル人コミュニティーとは、平和に共存していたという。

入植者がジュマ民族の土地を収奪しはじめた「今年1月から状況が変化しはじめた」と彼らは語った。

声明文でビノイ・チャクマは、ジュマ民族に対する脅迫、土地収奪、経済的な締め付けの13の例を挙げた。

被害

キリスト教会とユニセフが運営する2つの学校のほか、ジュマ民族の住居、計77戸が全焼したと彼は語った。プールボパラ(村)で33戸の内28戸、ゴンガラム村では47戸中11戸、レトカバ村では94戸中5戸、ダネ・バイバチョラでは100戸中33戸が全焼し、1500万タカ相当の財産が破壊されたと彼は語った。

負傷者

襲撃事件ではニュートン・チャクマ(別名カラボ)、ビジョイ・シン・チャクマ、ロトン・チャクマという3名のジュマ民族が負傷したと彼は語った。

事件後の経過

被害者たちによると、事件後、軍隊はジュマ民族の土地に住居を建設するよう入植者に圧力をかけているという。4月22日に入植者2家族がバガイチョリを離れようとして乗り合いジープに乗ったがカシェムという兵士が家族を車から引きずり降ろし、罵倒を浴びせたと彼らは言う。4月23日に管区司令官イムティアズがダネ・バイバチョラとレトカバの間にあるボノ・ビハール寺の境内で入植者のグループを車から降ろし、焼け跡に家を建てるよう命じた。4月24日に管区司令官イムティアズは、管区本部で会合を開き、両コミュニティーの長老が参加した。会合で彼は「将来、ベンガル人に何かが起これば、お前ら全員を銃撃戦で殺してやる。お前らがこの国に住む必要はない」と言ってジュマ民族を脅迫した。

ビノイ・チャクマはジュマ民族の村人が恐怖の中で暮らしていると訴えた。「私たちは土地を失うことを常に恐れて暮らさなければなりません」と彼は泣き叫んだ。

犯人たち

被害者たちは、4月20日のジュマ村人に対する襲撃の主犯は、バガイハット管区司令官ショジッド・モハマド・イムティアズ中佐とバガイハット・バザールでビジネスを営むゴラム・モウラであると語った。攻撃の動機はジュマ民族を追い出し、土地を収奪することだという。

要求

被害者たちは次の要求を政府に提示した:1. ジュマ民族の全ての被害者に対する十分な補償と適切な生活再建、2. イムティアズ中佐、ゴラム・モウラと共犯者たちを逮捕し訴追すること、3. ジュマ村人を押さえつけるためにイムティアズが行った脅迫、無理強い、拷問を止めさせること、4. サジェクでの土地収奪と入植者の移住を止めさせ、同地区から全ての入植者を引き上げること、5. キリスト教会や仏教寺院などの宗教施設への攻撃を止めさせ、ボナニ・ボノ・ビハール寺から収奪された土地を返還し、ビッショ・モイトリー・ブッド・ビハール寺を元の場所に再建し、ゴンガラムでジョガシッディ・ビック師のために立てられた庵に対する被害の金銭賠償を払うこと。

記者会見にはギャネンドゥ・チャクマ(レトカバ・ムク村)、クリントン・キシャ(ゴンガラム・ムク村)、シャンティ・ビカーシュ・チャクマ(ダネ・バイバチョラ村)、ディノ・モホン・チャクマ(レトカバ村)も出席した。
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CHTサジェク地区で住居を放火されたジュマ民族のリスト
2008年4月20日深夜にチッタゴン丘陵地帯ランガマティ県バガイチョリ郡サジェク・ユニオンのバガイハット地区でバングラデシュ軍の直接支援を受けた新しいベンガル人入植者により放火による攻撃が行われた。この襲撃事件で7つの村に住む先住民族ジュマの住居、約76戸が全焼した。ベンガル人入植者の熱狂的で極端な民族主義を唱える団体である平等権運動(SOA)のバガイハット支部代表、ゴラム・モッラとバガイチョリ支部代表、シェリム・バハリが、司令官ショジッド・イムティアズ中佐、ザベドゥル・ラーマン大尉、下士官ハルンが率いる第33ベンガル連隊(2)バガイハット陸軍管区の兵士の直接支援を受けながら、ベンガル人入植者を攻撃に導いたと報告されている。家が全焼した先住民族ジュマの村人の下記リストをサジェク・ユニオン評議会の3人の委員、カラチョガ・チャクマ、ショポニカ・チャクマ、ジョツナ・チャクマが作成した。

ダネ・バイバチョラ村(シャンティ・メンバー・パラ(村)とカチュ・アダム村を含む)

1. Bimal Kanti Chakma
2. Shanti Bikash Chakma(1)
3. Nayan Ranjan Member
4. Brisha Muni Chakma
5. Chiringo Chakma
6. Subhanga Chakma
7. Dayal Kista Chakma
8. Kina Chan Ckakma
9. Shyamal Kanti Chakma
10. Pratilata Chakma
11. Shanti Jiban Chakma
12. Gobinda Chakma
13. Subolya Chakma
14. Kala Kachu Chakma
15. Jyosna Rani Chakma (Member)
16. Rabi Shankar Chakma
17. Rupayan Master
18. Shakya Bodhi Master
19. Neuton Chakma (Dr.)
20. Rakhi Chakma
21. Nihar Kanti Chakma
22. Nirmal Kanti Chakma
23. Chigon Chiji Chakma
24. Dhabana Chakma
25. Shanti Ranjan Ckakma
26. Kala Chan Chakma
27. Neuton Chakma (Kalabo)
28. Kamini Ranjan Chakma
29. Sushi Ranjan Chakma
30. Rabi Ranjan Chakma
31. Baratya Chakma
32. Shanti Bikash Chakma (2)
33. Suma Chakma (Para Kendra School)

ゴンガラム・ムク村

1. Gyana Chakma
2. Sunesh Chakma
3. Kaladhan Chakma
4. Jagadish Chakma
5. Lorbo Chakma
6. Maratshaw Chakma
7. Ajit Chakma
8. Mangal Sadhan Chakma
9. Chiranta Master
10. Suman Chakma
11. Chandra Mohan Chakma

バガイハット・プルボ・パラ(村)

1. Jyoti Moy Chakma
2. Kala Maratya Chakma
3. Arun Bikash Chakma
4. Jagadish Chakma
5. Rupan Chakma
6. Bhubati Chakma
7. Sumati Ranjan Chakma
8. Dhana Gula Chakma
9. Nilamoy Chakma
10. Mangal Sen Chakma
11. Dhana Bikash Chakma
12. Gyana Ranjan Chakma
13. Sunil Kanti Chakma
14. Trishankar Chakma
15. Paran Sona Chakma
16. Monu Ranjan Chakma
17. Dulal Chakma
18. Amar Bikash Chakma
19. Rumel Chakma
20. Bangalya Chakma
21. Laxmi Kumar Chakma
22. Samar Kanti Chakma
23. Amar Kanti Chakma
24. Minal Chakma
25. Laxmindra Chakma
26. Indra Raj Chakma
27. Aiub Kanti Chakma

レターバチョラ村

1. Mon Mohan Chakma
2. Ranesh Chakma
3. Kinadhan Chakma
4. Ladu Muni Chakma
5. Goyeshur Chakma

出典:カパエン・ウォッチ、2008年4月29日
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バングラデシュの先住民族ジュマに対する攻撃と国際的な行動の必要性
ACHR Weekly Review
アジア人権センター(ACHR) 2008年4月23日
「人生は我がものにあらず」:バングラデシュの先住民族ジュマに対する攻撃と国際的な行動の必要性

2008年4月20日、ニューヨークで国連先住民族問題常設フォーラムの第7会期が開かれようとしていた矢先に、バングラデシュのチッタゴン丘陵地帯(CHT)では、平野部から同地に違法に移住してきたベンガル人入植者数百名が先住民族ジュマの七つの村を襲撃した。2008年4月20日の午後9:30時から翌日の午前1:30時までの4時間、ランガマティ県バガイチョリ郡サジェク・ユニオンのナーサリー・パラ、バイバチョラ、プルボ・パラ、ナンガル・ムラ、レトカバ、シマナ・パラ、ゴンガラム・ムクという7つの村が攻撃を受けた。

2008年4月21日に同地を地元政府職員とともに訪問した4人のジャーナリストの報告によるとバガイハットからゴンガラムにかけての4キロ区間で少なくとも500戸の住居が全焼したと言う。先住民族数名が負傷し、何人かの女性が攻撃者にレイプされた。騒乱状況に関してさまざまな報告が入り続けている。

数百名の先住民族ジュマが住む場所を追われ、更なる攻撃を恐れて深い森の中に避難している。ランガマティ県評議会委員2名、ランガマティ県知事(DC)モハマド・ヌルル・アミン、同県警視アブドゥル・バテンが現場を訪問し、被害者に配布してもらう目的でバガイハット陸軍管区司令官サイード・イムティアズ中佐に10万タカ(1600米ドル)を手渡した。サジェク・ユニオン評議会の女性委員2名を含む被害者10名だけが救援金を受け取るためにバガイハット・バザールに出てきたが、残りの被害者は報復を恐れて来ることを拒んでいる。

2008年3月にサジェク・ユニオンのバガイハット、ゴンガラム、マッサロン地区で陸軍が平野部からやってきた新たな入植者を違法に先住民族ジュマの土地に入植させ始めたころから同地域では緊張が高まっていた。攻撃が始まろうとしているという噂を聞き、50〜60人ほどのジュマがゴンガラム・ムク村に集まって、どうやって自分たちを防衛するかを話し合っていた。この情報がなぜか陸軍に漏れ、心配しないようにと村人に伝えるために兵士がやってきた。下士官ハルンの率いる兵士たちがジュマの男たちと会話している間に、ベンガル人入植者のグループが攻撃を開始した。

攻撃された人々は当初から大変不安定な状況にあった。この村々に住む先住民族の多くは竹の開花の影響ですでに飢えた状態にあり、深刻な人道的な危機に陥っていた。竹の開花に伴い、ネズミが大量発生して作物や貯蔵食品など食糧を食い荒らし、影響を受けた地域では深刻な食糧難が起こっていた。影響を受けている先住民族へのバングラデシュ政府から支援は無く、村が焼き払われて全てが破壊された。

ACHRは早くから警鐘を鳴らした

2008年1月25日付けの「バングラデシュ:チッタゴン丘陵で違法な入植を進めるために陸軍が仏教を攻撃する」(http://www.achrweb.org/Review/2008/203-08.html)と題するWeekly Reviewでアジア人権センターは、バングラデシュ陸軍が組織的に先住民族ジュマをその土地から強制退去させ、平野部から来た入植者を意図的に、そして違法な形でその土地に再定住させていることに焦点を当てた。

その前の「バングラデシュ:先住民族は一触即発の状態」(http://www.achrweb.org/Review/2007/182-07.htm)と題するWeekly Reviewでも、アジア人権センターは、いつ暴動が起こってもおかしくないほど緊張が高まっていることを報告した。2007年8月28日にバングラデシュの陸軍参謀長で実質的な国家元首であるモイーンUアハメッド将軍がチッタゴン丘陵地帯(CHT)のディギナラを訪問したことで何とか暴動が未然に防がれた。

緊急事態の発令以降、バングラデシュ陸軍の直接関与の下で平野部からの入植者の違法な入植が激しさを増している。バングラデシュ陸軍は1976年以来、チッタゴン丘陵での実質的な政府として機能してきた。1997年のCHT和平協定で陸軍駐屯地が引き上げられることになっていた。しかし、その後、どの政権も協定の条項を実施せずに来た。

国際的な行動の必要性

ジュマが居住する七つの村を全滅させ、意図的に放火、略奪、暴力、レイプの限りを尽くした今回の事件は、1985〜86年に7万人以上の先住民族ジュマが国境を越えてインドに難民として逃れることを余儀なくさせた襲撃事件を髣髴とさせるものである。ドイツの人類学者、ウォルフガン・メイ氏の報告書「チッタゴン丘陵地帯でのジェノサイド」(IWGIA Document 51 / 1984)は、先住民族ジュマに対する粗暴で目に余る人権侵害に焦点を当てた。CHT委員会の1991年の報告書「人生は我がものにあらず」でも、これらの人権侵害の実態がさらに明らかにされた。ダグラス・サンダーズ教授率いるCHT委員会は、インド・バングラデシュ両政府の許可を得て先住民族ジュマの難民キャンプとチッタゴン丘陵地帯を訪問したのだった。

CHTで500戸以上の住居が全焼した今回の事件はバングラデシュ国内でほとんど報道されなかった。国際的に注目を集める可能性も低い。緊急事態の下、CHTでは先住民族ジュマは抗議できない状況に置かれている;これまでのところ、本件に対するバングラデシュ国内での抗議は、大学キャンパス内の控えめなものに限られている。今後、バングラデシュの公民権・人権擁護団体がどう対処するかが注目される。

非常事態が発令されてもされなくても、先住民族ジュマにとって大差は無い。CHTでは陸軍がすべてを牛耳っており、文民当局も陸軍に従属している。とはいえ、緊急事態が解除されれば、バングラデシュで切望されている政治的な自由が一定程度回復することも否めない。

2007年1月11日以来のバングラデシュにおける緊急事態発令に対する国連を含む国際社会の反応は憂慮に値する。市民的および政治的権利に関する国際規約の第4条に定める「国家存亡の脅威」をバングラデシュは何も抱えていないにもかかわらず、緊急事態が発令されたままとなっている。

国連先住民族問題常設フォーラム(PFII)もCHTでの7村焼失といった問題に対処できる見込みは少ない。これまでPFIIの年次会期報告書では常に勧告策定に重点が置かれ、500世帯の焼き討ちのような人権侵害は、国連の専門用語の下に埋没し、言及されてこなかった。

よって、ダッカにある欧州連合などの外交使節団・大使館はバングラデシュ市民社会組織と共に、被害状況を評価し、焼き出された人々の直近のニーズに対処するために、被災地を訪問すべきである。国際社会がこのような現地訪問を行わなければ、先住民族ジュマへの攻撃は激しさを増すばかりだろう。
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ランガマティ県サジェクで襲撃事件!
サジェクでジュマ民族の村がベンガル人入植者に放火される

カパエン・ウォッチ 2008年4月22日

2008年4月20日、ランガマティ県バガイチョリ郡サジェク・ユニオンで、軍に直接支援されたベンガル人入植者がナーサリー・パラ地区からゴンガラム・ムク地区までの間にあるジュマ民族の村々に放火をした。

目撃者によると攻撃は午後9:30時から午前1:30時まで4時間続いたことが分かった。この攻撃でジュマ民族の家が少なくとも60戸全焼したとも報告されている。ハジャチョリ村の近くの仏教寺院も放火された。攻撃の際、ベンガル人入植者は女性を含むジュマの村人に無差別に暴力を振るい、家から金品を略奪した。攻撃の間、バガイハット軍管区司令官(名前は要確認)と下士官ハルンが率いる同管区の兵士の一行が現場にいるのが目撃された。ベンガル人入植者がジュマの家を放火しはじめたときに軍は止めようとしなかったとジュマの村人は訴える。

2007年3月から軍は新たに平野部から移住してきたベンガル人世帯をサジェク・ユニオンのバガイハット、ゴンガラム、マッサロン地区に、ジュマ民族の伝統的な土地を占拠する形で入植させる計画を進めてきた。同地の先住民族の村人は、この違法なベンガル人入植計画に抗議してきた。それから同地で緊張が高まっていた。

事件がどのようにして始まったかは、まだ確認されていない。ベンガル人入植者はジュマの村人が先にベンガル人入植者の家に放火したと主張している。しかし、ジュマの村人はベンガル人入植者が攻撃の口実を作るためにわざと自分たちの家に火をつけたと主張している。

2008年4月21日にビハリ・ロンジョン・チャクマ氏を含むランガマティ県評議会の委員2名とランガマティ県知事(DC)が現場を訪問したことが分かった。県知事は放火された寺院の僧侶に補償金として5000タカを渡そうとしたが僧侶は受け取ることを拒否したとも報告されている。誰も逮捕されたとは報告されていない。ジュマの村人のほとんどは、更なる攻撃を恐れて奥深い森に避難した。


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http://www.thedailystar.net/story.php?nid=33251

デイリー・スター紙 2008年4月22日
CHT放火攻撃で132戸焼失、9名負傷
ランガマティ特派員

日曜日の夜、ランガマティ県バガイチョリ郡サジェク・ユニオンで未知の攻撃者がゴンガラム・ムク・チョラ村を襲撃したことにより、少なくとも9名が負傷し、132戸の家が全焼した。

襲撃は夜9時ごろに始まり、4時間近く続いた。

攻撃者は警察や治安軍が現場に到着する前に逃亡した。

事件後、地元行政は村に警察と治安軍を配置させている。

しかし、今も村に住むベンガル人と先住民族の間で緊張が続いている。

警察は、目撃者によると、日曜日の夜に武器や棍棒を持った約150人の未知の攻撃者グループが村を襲ったとらしいと説明した。

攻撃者たちは、相手によっては鋭利な凶器を使い、村人を容赦なく攻撃し、少なくとも9名を負傷させた。また、村にあったベンガル人の79戸、先住民族の53戸、計132戸の家を全焼させた。

負傷者はバガイチョリ郡保健所で応急手当てを受けたあと返されたと警察は語った。

攻撃の理由は不明である。攻撃者が誰かも分からず、ベンガル人と先住民族は互いに相手のせいにしている。

これまで、この地域は比較的平和だったので、稀な事件だと現地の人は語る。他の人は、同地で土地への不法侵入に地元住人が不満を抱いていたと指摘した。

昨日、カグラチョリ県評議会議長モノンドロ・ラル・トリプラ、ランガマティ県知事(DC)モハマド・ヌルル・アミン、ランガマティ警視モハマド・アブドゥル・バテンら政府高官が現場を訪れた。

彼らは住民に冷静な態度をとるよう促し、被害者に損害の補償を約束した。
| - | 21:56 | - | -
竹林の開花による「鼠の洪水」で飢饉
2007年8月からチッタゴン丘陵東部で竹の一斉開花による「鼠の洪水」という現象が起こり、今年に入って食糧難が深刻になっている。竹は40年〜80年毎に一斉に開花・結実して枯れるが、鼠が竹の花や実を食べて猛繁殖し、作物を食い荒らす。この現象が1959年にCHTと接するインド・ミゾラム州で発生したときには、多くの餓死者が出て民族紛争の引き金となった。世界食糧計画(WFP)ランガマティ事務所が2008年1月に行った調査によるとランガマティ県とバンドルバン県の7郡に住む128,400人(25680世帯)の状況は特に深刻で、昨秋は稲など作物が鼠によってほぼ全滅し、蓄えた食糧も尽きようとしていたという。CHT地域評議会によると、特にバンドルバン県アリコドム郡のムロー人やトリプラ人の8割は食料が尽き、木の根などで空腹をしのいでおり、子供の栄養失調が深刻になっているという。ランガマティ県サジェクでは、すでに餓死者が2人報告され、ルシャイ人やパンコー人が危機的な状況にある。今年に入ってカグラチョリ県の7郡45ヶ村でも竹が開花し、食糧難が危惧されている。政府は1月に県評議会を通して被災世帯に1000タカずつ配布し、3月にCHT省は2県で穀物1200トンを労働の対価として配給するFood-For-Work事業を決定し、UNDPも7000世帯に一回限りの食糧配布を実施したが、来秋の収穫まで生活の目処が立っていない。WFPは700万ドル規模の緊急食糧支援を各国政府に呼びかけている。
(出典:世界食糧計画(WFP)、地域評議会、デイリー・スター紙08年3月17日、ニュー・エージ紙3月21日など)
| - | 23:25 | - | -
チョレス・リチル氏の拷問死の真相究明を!
タンガイル県モドゥプールでのエコ・パーク建設による住民追い出しに抗議してきたマンディ(ガロ)民族の活動家、チョレス・リチル氏が2007年3月18日、陸軍によって拘束中に死亡した事件に関して、政府が設置した司法調査委員会がいまだに報告書を公開していないことに抗議して、国内人権団体ASK、BLAST、ALRD、ニジェラコリ、BELAが2008年2月28日に記者会見を開き、報告書の公開・犯人の処罰を要求した。ACHRによると去年3月17日にリチル氏ほか3人が私服の軍人に連行され、カクライド駐屯地で激しい拷問を受けた。翌18日、リチル氏の遺体は全身に打撲を負い、目や足のつめを抜かれた無残な状態で遺族に引き渡された。3月20日に遺族がモドゥプール警察に事件を通報したが、警察は告発状の受理を拒んだとされる。アムネスティ・インターナショナルも本件でバングラ政府に働きかけてきた。
| - | 23:31 | - | -
CHT3県に裁判所と女性特別法廷を設置するよう高裁が命じる!
2月24日、高等裁判所はチッタゴン丘陵3県に民事と刑事の裁判所および女性と子供の虐待を防止するための特別法廷を1年以内に設置するよう政府に命じた。バングラデシュ法的支援サービス信託(BLAST)という人権団体からの申し立てに対する判決だった。従来、チッタゴン丘陵では1900年CHT条例の規定で、県知事(Deputy Commissioner)が民事・刑事の治安判事を兼務し、その判決に対する控訴は、チッタゴン省知事(Divisional Commissioner)に対して行うものとされてきた。女性子供虐待防止法(2003年)で各県に設けられた特別法廷も、丘陵3県にだけなかった。県や省の行政裁判所に約3500件も訴訟が累積して、土地収奪やレイプ事件が何年も審理されずに放置されてきた。新しい裁判所ができれば、人権に関わる事件がより迅速・適切に審理されることが期待される。
(出典:デイリー・スター紙2008年2月25日)
| - | 23:23 | - | -
カグラチョリ県で続く土地収奪
カグラチョリ県では、去年から陸軍や行政の支援の下、入植者による土地収奪が加速している。Hill Watch Human Rights Forumによると去年3月〜12月にかけて、同県ショドル郡とモハルチョリ郡の4つのユニオンで14ヶ村に住む133世帯のジュマ民族の土地、399エーカーが入植者に新たに占拠され、住居が建設された。今年2月末の現地訪問でも私たちジュマ・ネット関係者はカグラチョリからランガマティに向かう道中で、入植者が無断で建てたらしい新しいトタン屋根の住居を多く見かけた(地図参照)。1月には土地を守ろうとするジュマ村長が「入植者の果樹を切り倒した」と警察から嘘の嫌疑で起訴され、行政もジュマに「土地証書を見せろ」と言って圧力をかけている。また、国内大手NGOのBRACがカグラチョリの県境にまたがる茶園の経営権(リース)を2003年に購入し、最近になって茶園を拡張するために同県マニクチョリ郡第110ジュッゴチョラ・モウザ(人口350世帯(2/3はトリプラ人))から住民を追い出している。茶園造成でヒンドゥー寺院や火葬場なども破壊され、移住を拒む住民が脅迫されているという。また、同県ディギナラ郡バブチョラではシャードン・ティラ仏教寺院を含む300エーカーの土地を収奪する試みが続いており、去年11月にもCHT省から県行政に入植者約800世帯をそこに移住させるよう命令も下されたが、住民や僧侶たちが抵抗している。同県ロッキチョリ郡のブジュリチュグ山にある瞑想センターも、軍によって去年2回破壊されては僧侶により建て直されたが、2008年1月31日にも陸軍に破壊され、冒涜行為が行われた(写真参照)。
(出典:Hill Watch Human Rights Forumなど現地情報筋)
| - | 23:28 | - | -
お寺に「拡声器使うな」と軍が脅迫
11月5日、土地収奪の標的となっているシャードン・ティラで仏教寺院の委員会書記を務めるスネホモイ・チャクマら(上述)は、駐屯地に呼び出され、バブチョラ管区の陸軍司令官から、コティン・チボル・ダン祭(一夜にして綿花から法衣を織り上げて僧侶に寄進する行事)で拡声器を使わないよう脅迫され、県知事から使用許可を取れと言われた。この祭りは、修行僧の雨季の篭り行(雨安居)の終わる10月後半ごろに催され、同寺では11月8〜9日に予定されていた。一般にバングラデシュでは宗教行事で拡声器を使うことに制限はなく、イスラム教の一日五回の祈りへの呼びかけでも使われている。

また11月1日、丘陵僧侶協会会長スマナランカール師(数回の来日でおなじみ)の一行がコティン・チボル・ダン祭りに参加するためにバブチョラの仏教寺院に車で向かっていたところ、検問所で止められ、行く手を阻まれた。同師は駐屯地前で祭りの法要を行うと言い出し、兵士も仕方なく通過を許可した。CHTでは軍人らの宗教的不寛容は根深く、仏教の僧侶や信者に対する嫌がらせがあとを絶たない。

Hill Watch Human Rights Forum NEWS No. 52/2007, (2007年11月7日)
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